小春日和

敏感な私の学校生活と日々のこと

自分を大事にしたい理由

自分自身をまず、幸せにしてあげること、自分自身の心をまず満足させてあげること。

「自分を幸せにしてあげることで、誰かを幸せにすることができる。」

 

こんな言葉を私は何回も耳にしたことがある。

けれど、理解出来ずにいた。

 

でも、最近理解できるような経験をして、初めて意味を知れた気がする。

 

私は、自分がしんどいのに、自分が余裕ないのに

他人を優先してしまっていた。

ずっと、それで生きてきた。

 

でも、私は今、大切な人がいる。

その人が、しんどい時、助けを求めていたらすぐに力になりたいと思うし、支えたいと思っている。

体調を崩したり、精神面で余裕を持ててなかったら、大切な人がしんどい時に、力になってあげることが出来ない。

精神的に余裕がなかったら、大切な人の話をゆっくり、聞いてあげられないかもしれない。

 

本当に力になりたい時に、自分がしんどくなってたら、力になることも出来ない。

そんな、悔しい経験を私はいくつかしてきた。

 

大切な人と一緒に笑いながら過ごしたい、幸せを感じたい。

大切な人を支えたい、力になりたい、いつでも話を聞いてあげられる心の余裕を持ちたい。

 

こんな私の願いは、「自分を大事にすること」が出来たら、全て叶うと思う。

 

自分の心を満たせてあげられてないのに、それを無視して、他人の心を満たしてあげられることは、果たして出来るだろうか?

 

今まで、私は自分を大事にしてあげられてなかった。

私は、大切な人を幸せにしたいと思うし、いつも笑っていて欲しいと思うし、その人がしんどい時、苦しい時、側にいて支えたいと思う。

 

だから、私は自分を大事にする。

誰かの力になれるように、ゆっくり話を聞けるように、支えられるように、私はまず自分を幸せにする。

 

大切な人を幸せにできるように、私は、自分自身を幸せにできるように頑張りたい。

 

 

自分のために生きれるようになった

私は、これまで自分のために生きることができませんでした。

いつも、私の行動や発言には他人が影響していました。

 

他人がどう思うか、どう受けとるか

それをいつも考えて、行動や意見をコロコロ変えていました。

 

「私は」という私中心の意見が言えませんでした。

 

「私は」こう思うけど、この意見(思い)を言ってしまったら、相手は傷つくかな?怒るかな?

というような、自分の意見を発言する前に

これは言っていいことなのかな?と考える癖がついていました。

 

発言する前に1歩手前で相手を傷つける言葉なのか考える力は必要だと思います。

 

でも、いつもどんな状況でも言っていいことなのか?と考えることは自分をしんどくさせることがあると分かりました。

 

何か、嫌なことを言われた時や腹が立つようなことを言われて、嫌な気持ちになることがあるとします。

私はそこでいつも黙ってしまっていました。

 

これは、怒っていい事なのか?嫌な気持ちになってはいるけれど、「何に」嫌な気持ちになっているんだろう?と、なにかモヤモヤしたことが起こる度に、この作業をしていました。

 

いつも、分からないので知らず知らずの内に溜め込んでいました。

誰かに相談した時に、第三者から見た意見をくれるので、その時初めて怒っていい事だったんだと分かり、そこで腹が立つということが多かったです。

 

その時点で腹が立つということに気づいても、遅いので、ストレスは溜まっていくばかりでした。

 

不満をその時に相手に伝えるということは私には難しいことでした。

 

しかし、最近になって改善できるようになりました。

全部相手目線で生きていたのを、自分目線に変えただけです。それだけの事なのですが、20歳になるまで出来ませんでした。

 

「これは怒っていい事なのかな?」と考えてしまって言えなかったけれど、今では正しく伝えられるようになりました。

 

ただ、不満を言うだけでは「伝える」とはなりません。

嫌な気持ちになったのは理由があるはずなので、相手が言った言葉なら、

「あなたはそんなつもりは無いと思うんだけど、あなたが言った「   」っていう言葉が私は傷ついた。(嫌な気持ちになった)」

 

最近は、"なぜ嫌な気持ちになったのか"を付け加えて言えるようになりました。

 

"怒っていいことなのか"

怒らなくてもいいんです。

ただ、自分自身が嫌な気持ちになったのならそれを尊重してあげましょう。

 

相手に怒らなくても、「私は嫌な気持ちになりました」と伝えるだけでいいんです。

 

私は、嫌な気持ちになった時に

・相手は「こんな」思いで言ったんだろうな

・でも、私はその言葉を聞いて「こう」受け取ってしまう 

自分と相手   2つの視点を見れるように頑張って意識しています。

相手と自分を同時に冷静に見れるように

嫌な気持ちや腹が立った時ほど冷静に視野を広くできるように今よりも頑張りたいです。

 

この2つの視点を把握できることによって

伝え方はすごく変わります。

例えば、

「あなたはこんな意味で言ってくれたんだと思うんだけど、私はこう捉えてしまったから、だから嫌な気持ちになってしまった」

という伝え方ができます。

 

私が前よりも楽に生きれるようになったのは、

ちゃんと"伝えられるようになったから"だと思います。

 

また、人間関係でも嫌な気持ちになる相手でも

無理して付き合ってた時がありました。

 

なので、愚痴を誰かに言った時に

「なんでそんなに嫌な相手なのに一緒にいるの?」と言われることが多々ありました。

 

私が愚痴を零すと、周りは解決方法を提案してくれます。

 

・LINEブロックしたら?

・もう遊ばなかったら?

・やりとり辞めたら?

 

それらの解決方法を私は

「でも…」と言って実行しませんでした。

 

周りの人から見ると、どっちなの?ってなってたと思います。

 

言ってることと行動が違うからです。

 

最近は、発言と行動が一致するようになりました。

 

「私が」嫌だから、遊ばない。

「私が」しんどくなるから、距離置く。

 

「私」を軸に物事を考えられるようになりました。

 

相手がどう思うかなど、相手を気にして自分を苦しめていたんですが、

自分がしんどくなってまで付き合うことは無いし、毎日楽しくありません。

 

「嫌われたらどうしよう」なんて思っていたこともありました。

嫌われてもいいんです。

自分がしんどい思いをしながら嫌われないように付き合っていくことと比べたら、嫌われてしまう方が楽ですし、楽しく生きられると思います。

 

自分にしんどい思いをさせる人を自分が傷ついてまで一緒にいる必要ありますか?

 

嫌な人に自分の時間や労力を使うよりも

自分自身が本当に大事にしたい、この人に時間を使いたいと思う人に使いたいです。

 

こんな考え方が最近できるようになったので

前よりも自分が好きですし、生きやすくなりました。

しんどい事も出てくるけれど、楽しいなと感じられることが増えました。

 

やっと、自分のために生きられるようになりました。

 

 

人のことを考えて動くということ

12/14日に、体調などの理由でバイトを辞めることが決まりました。

 

今日、気づけたことがあるんです。

 

私は、8月から今のバイト先の飲食店で働かせてもらって、4年間働いてる方と比べられていて、

自分の成長が見えなかったんです。

 

でも、今日、今のバイト先の店長さん、オーナーさん、その4年間働いているバイトの人に負けないものがあることに気づいたんです。

 

技術的には、負けているかもしれないけど

"人のことを考えて動く"ということは、3人の中では私が1番で、負けていないと今日実感しました。

 

それを思ったのは、今日あった2つあった出来事で実感することが出来ました。

 

まず1つ目、おばさんが来店してきてケーキが食べたいけど、これしかないの?と店長さんに言っていました。店長さんは、「そうですね、ケーキセット対象外なんですけど、パウンドケーキもございます。」

そのおばさんは、不機嫌そうに食べたいケーキがないけど、とりあえずもうパウンドケーキでいいわと言って席に座りました。

機嫌悪そうだったなぁーと私はその時思っていました。

 

ケーキができて、飲み物と一緒にそのおばさんの所へ持っていこうと思った時、

そのおばさんが私に「こっちに移るわ」と言ってカバンを持って移動していました。

 

移動する前に座ってた席を見ると水が置いてありました。

私は、商品を置くと同時に、「お水お持ちしますね〜」と言いました。

 

すると、そのおばさんは驚いた顔で、「え!ありがとう」と言ってくれました。

 

そのおばさんが帰る時、私に話しかけてきてくれました。

「どこからかオルゴールが聞こえるんやけどどこから流れてるん?」って聞かれたので

「あそこのスピーカーから流れてます、クリスマスソングが流れているんですよ〜」と答えると

 

「そうなのね!ありがとう!とっても感じいいね〜!ご馳走様」と笑顔で帰ってくれました。

 

レジの時はすごい不機嫌そうだったのに、

帰る時、笑顔で「ご馳走様」って言ってくれたこと、私が褒められた訳では無いけど、お店を「感じいいね」と言ってくれたこと

なにより、気分よく帰ってくれたことがすごく嬉しかったんです。

 

何がきっかけで、私がお水を持っていったのがきっかけなのかは分からないけれど、

話しかけられた時、雰囲気が柔らかくなっててすごく嬉しかったです。

 

最後に2つ目

私が上がる少し前に来てくれたご家族で

子供さん2人、夫婦が来店してきてくれました。

 

ケーキのケースを見ながら、バタバタする子供も気にしながら、何にしようか迷っていました。

 

その時、私の頭の中に 子供さん小さいし絶対レジの机に貼っているメニューなんか見えないやろ。と思ったので、持ち運びできるメニュー表を持って行って、「良かったらどうぞ〜」と言うと、「ありがとうございます!」と言われ、4人でメニュー表を囲んでどれにするー?と決めていました。

 

その時、店の中にはそのご家族しかいなかったので、4年間働いてるバイトの方と店長さんもそのご家族を見ていました。

 

メニュー表を持って行こうと思ったこと、子供さん見えないやろと気づいたのは、その時私しかいませんでした。

 

仕事は遅いかもしれない、効率よく働けないかもしれない、技術的なことを考えたら、私はまだまだで、できてないのかも知れません。

 

でも、「人のことを考えて動くこと」に関しては、私は今のバイト先で1番できていると思います。

 

お金が必要なので、12/11日に次のバイトの面接を受けてきました。

その前に面接受けた飲食店の店の人にバイトって募集してますか?と聞いていました。

その時聞いた人がその店の店長さんだったらしくて、

昨日、その店の経営者?らしき人と面接した時、

座った途端、「この前話した女の人、あれ店長なんやけど、店長からいい感じの人やったって聞いてたからもう働いてもらおうと思ってるんやけど」と言われて、面接ではなく、もう採用でした。

 

「感じがいい」最近人によく言ってもらえる言葉です。

すごく嬉しかったです。

 

接客する上で、「人のことを考えて動く」これが出来るようになるには、その店のことを覚えたり

例えば食器の場所、メニュー置き場の場所など

そんなこと?って思うかもしれませんが

そのお店に慣れていって、ある程度お店のことが分かるようにならないと人のために動くことは出来ないと思います。

 

私も、辞めてしまうけれど今のバイト先で

取り皿、持ち運びできるメニュー表など食器がどこにあるか、これが分かるだけでも

取り皿必要やなとか食べにくそうやからフォークいるか聞こうかなとか人のために動きたいと思ってもその場所が分からなかったらまず成立しません。

まず、お店のメニューも分からないとフォークいるかなとかも思いつかないです。

 

まず、人のために動けるようになるには

お店のことを知ることだと思いました。

 

制服が届き次第働けるらしいので、「人のことを考えて動く」これをできるようになる為に、

新しい場所で、また頑張っていきます。

 

 

今日はすごくいい日で嬉しかったことが多くあった日でした⸜ ♡ ⸝

諦めたこと

最近、体調が悪い     しんどい    つかれた

 

そう思うことが増えていた。

 

バイトも結構入っていて、自分の時間がなく

家へ帰っても洗濯したりご飯は何をしようかと考えたり、ホッとする時間があまりなかった。

 

家のことが終わって、お風呂も入ったらもう夜中の2時なんてことが多くあった。

 

明日は、朝からのバイトだから○時に起きないといけない。

てことは、〇時間しか寝れない。

 

ほぼ毎日そんなことを考えていた。

 

朝起きて、目が覚めたらしんどすぎて体が動かない。

けれど、無理やり体を起こす。

 

どうやって休もうか?なんて頭をよぎるけれどそんな考えを捨てて、とりあえず洗面所に行って

顔に水をかける。

 

もう疲れた、休みたい、しんどい

そんな気持ちが身体中を回って体を動けなくしようとする。

 

「バイトが終わって帰ったらたくさん寝よう」

 

毎回、そう心に決めてバイトに向かった。

 

バイトに着くと、朝のしんどさは全てなくなる。

 

バイト終盤になると、体は元気で

朝、帰ったらたくさん寝ようと毎回心に決めるけれど

バイトに行くと元気になるから帰ったら洗濯物干して、買い物行こう

 

寝なくてもいいや  と思ってしまっていた。

 

頭が動きすぎてしんどいなと思うことが時々あった。

 

その時に薬を1錠飲んだ。

薬を1錠飲んで、お昼を食べに行った。

 

注文する時に、呂律が回らなくて

おかしいなと思った、けれどあまり気にしなかった。

 

食べ始めた時、だんだん体が重くなっていって

食べ終わった時には目を開けるのがしんどくて、

眠過ぎて、体に力が入らなくて立てなくなった。

 

家から少し遠くの場所にいたから、どうやって帰ったらいいんだ、と困った。

 

とりあえず、少し休んで自転車を押しながら

帰った。

その後はベットに入ってたくさん寝た。

 

この時、薬が多すぎたんだと思った。

 

その次の時、夜、薬を1錠飲んだ。

この前多かったから少し少なくした。

 

それでも、体が重くなった、だるくなった。

 

この量でも薬が多いのか。

私、薬いらなくなってる!と嬉しくなった。

 

8月から、私は寝る前の薬を飲んでいなかった。

飲まなくても寝れたから。

初めて、飲まなくても寝れるようになってすごく嬉しかった。

 

病院の日

 

薬が多いんです、と先生に伝えた。

すると、先生はそれは違うと言った。

 

私が思っていた反対のことを言った。

 

私は疲れすぎている、頑張りすぎている

薬が多いんじゃなくて、ずっと飲んでなくて

飲んだ時に、それまでの疲れがどっと出ている。

 

バイトも、時間を短くするか日にちを減らすように言われた。

バイトがない日はとにかく寝てくださいと言われた。

バイト中は薬を飲まないように言われた。

動けなくなるから。

 

私は、絶望してしまった。

またか…   そう思った。

 

いつも、私が邪魔をする。

私がここまではしたい、ここまではやりたい

そう思っても、いつも私が邪魔をする。

 

私は中学生からずっと薬を飲んでいる。

周りからも、薬依存症だなとか減らせるように努力しなさいとか

薬を飲むこと=良くないこと

そう言われ続けてきたし、自分自身も薬を飲まない方が良いんだろうなと思っていた。

 

私は、これからもこの先もずっと薬を飲まないといけないのか。

自分だけの力で、寝ることなんて出来ないのか。

 

すごく悲しくなった。

薬がいらなくなったと嬉しかったのに

飲まなかったこともひとつの原因に入っていて

自分が動けなくなった。

 

その次の日に、バイト先に自分のことを話した。

 

その日に話した人には受け入れて貰えなかった。

こっちの都合も考えて欲しいということだった。

 

私は、すいませんしか言えなかった。

迷惑しかかけられないんだなと思った。

 

休憩中に泣いた。

もう自分でいるのが嫌になった。

いつも、頑張りたいところまで頑張れない。

本当に自分でいるのが悔しかった。

 

そのまた次のバイトの日に私は救われた。

前のバイトの時に話した人の奥さんに話した。

すると、頑張りすぎたんやってと言ってくれた。

 

人がいないとか気にしなくていいから休んでねと言ってくれた。

 

私のいじめられたことを言うと、自分の事のように悲しんでくれた。

私は、泣きそうになった。

 

頑張って、早く回復しようと思った。

 

その帰り、自転車を漕ぎながら思ったこと

 

諦めようと思った。

 

薬飲まないこと=良いこと  だと思っていて

一時、薬がいらなくなって嬉しかった。

けれど、その望みを諦めようと思った。

 

薬を飲まないこと=良いこと

 

本当に??

 

薬を飲まないことで、体調が悪くなったりしんどくなったりすることの方が良くないことだと思った。

 

私は、ずっといつか薬がいらなくなって寝れるようになったらいいな

いつか薬が何もいらなくなったらいいな

そう思っていた。

 

今でもそれは思うけれど、

薬と付き合って生きていくことを受け入れた。

今は、薬がいらなくなる自分を諦めた。

 

大失敗したけれど、良い意味で諦められて

受け入れることが出来た。

 

薬を飲むこと=ダメなこと

 

ずっとそう思い込んでいた。

その考えが苦しかった。

 

そんなことないよ。

 

やっと、薬と寄り添えあえた気がします。

 

 

 

 

 

 

一緒に生きるということ。

最近、自分に余裕がなくて体調も不安定で

しんどい日が多くありました。

 

上手く寝ることも出来なくて、また寝れなくなったらどうしよう、と不安が出てきてしまっていました。

 

一ヶ月前から、付き合ってる人と一緒に住んでいます。

 

バイト先も遠くなって、実家よりも早く起きないといけないし、実家にいる時みたいに自分のことだけしてればいいってわけにはいきません。

 

生きてるだけでお金はいるし、生きるって大変なんだなって毎日痛感しています。

 

彼と住み始めて、楽しいこともあったし、辛いこともありました。

 

最近、喧嘩したわけではないけどギクシャクしてしまった出来事がありました。

その時、私はすごく泣いて、しんどくなって

「もういやや。」って思ってしまいました。

 

悲しくて、辛かったわけですが、その時の私は"何が"辛かったのか、悲しかったのかイマイチ分かってなかったんです。

 

いつもそうなんです。しんどい、辛い。そんな感情は先立って出るのに、その理由がいつも分からなくなるんです。

 

我慢する癖がついてるからなのか、

いつも、何を言われても黙って、後でしんどくなるんです。

 

でも、3日ぐらい経った日に、そのしんどかった理由が分かったんです。

 

理由に気づくのにすごく時間がかかってしまいましたが、気づくことができてすごく安心しました。

 

彼に、自分の思いを無事伝えることができて

答え合わせのようなものをお互いすることができました。

 

その時、思ったことは自分で勝手に解釈して、その自分で解釈したものを彼に理由を聞いてもいないのに、それを事実だと思い、腹を立てることはしたくないなと思いました。

 

とりあえず、しんどいって思った時に

"なぜ、私は今しんどくなっているのか"という理由にすぐ気づくことが出来たらいいなぁ、と思いました。

頑張って練習します!!

 

彼は、話し合いをちゃんとしてくれる人です。

 

彼自身が納得できるように、私自身も納得できるように話し合いをしてくれます。

 

しんどい日が最近多くて忘れてしまっていましたが、"一緒に住む"ということは、共有する部分が増えるということです。

 

辛いこともしんどいことも、楽しいことも嬉しかったことも、一緒に住んでいない時よりも共有することが増えます。

 

毎日、気分がいいというわけではないし、

しんどい日もイライラする日もあるでしょう。

 

しんどいことが多くて、考えることも出来なかったけれど、

私は、自分自身のことじゃなくても、彼が嬉しかったり、喜んだりしてくれるだけで私自身も嬉しくなるんです。

 

もちろん、しんどい時も。

いつも、自分に余裕があるわけではないし、

受け止めることも上手くできないかもしれません。

 

でも、嬉しいことも悲しいことも私は全部共有したいです。

 

「もう、むり。」と何度なっても、「私は彼と一緒にいたい」という結論にいつも辿り着くんです。

 

私は、彼のようにしっかりしてないし

たくさん迷惑かけてしまっているけど、

「私がいてくれるから幸せ」と言ってくれる彼にすごく感謝しています。

 

過去に、私がいてもいなくてもどっちでもいいんじゃないか、というような、私自身の存在を必要とされたと感じる出来事があまりなかったんです。

 

そこから、私は必要とされたいという願望を抱くようになりました。

誰かの特別になりたい、というような。

 

彼には言ってませんが、"私がいてくれるから"と言ってくれる度に、私は泣きそうになるんです。

 

やっと、誰かに必要と思って貰えたんだと。

 

彼は、素直に思ったことを伝えてくれるので、私も見習わないと!って思ってます笑

 

毎日お互い笑顔でいることは難しいことなのかもしれないけど、

 

"一緒に生きる"

 

 

この言葉の中に、「辛い時も」「しんどい時も」

それらが含まれていると思います。

 

辛い時も、しんどい時も一緒に生きる

 

軽く口にすることは出来ますが、自分が思っているよりも難しいことです。

 

私は一緒に住むことが出来たおかげで、

「辛い時も、しんどい時も一緒に生きる」

この言葉の重さを少しだけ理解出来ているのかもしれないと思いました。

 

でも、"一緒に生きる"  この言葉の中に"辛い時も" "しんどい時も"

それらの言葉が含まれているとしても、

私は彼と一緒に生きたいです。

 

今は住み始めて少ししか時間が経っていないから、まだ慣れてない部分がたくさんあると思います。

しんどいことも辛いことも、一緒に生きていればたくさん出てくるでしょう。

 

その度にしんどいこと、辛いこと、自分自身に焦点をあててしまうでしょう。

 

でも、そんな時こそ、

しんどい。で終わらずに、その先を考えることができますように。周りを見渡すことが出来ますように。

「どうしようか」ここまで考えることが出来ますように。

 

 

ここ最近、自分をたくさんアップデート出来てるので嬉しいなぁと感じています。

 

これからしんどい事も、楽しいこともたくさんやってくると思うけど、自分自身が今より更に生きやすくなるための課題だと思うので、頑張って挑みます^^*

 

 

 

 

辛いことに慣れないで。

布団の中に入りながらうとうとして、ふと頭に何がいちばん悲しいことなんだろうと疑問が浮かんだ。

私の中のその時の答えは、「辛いことに慣れること」だと思った。

なぜ、そんな言葉にたどり着いたのか。

多分、私が経験したからだ。

 

私はいじめられてた頃、本当に辛かった。

毎日泣いていたし、心がすごく痛かった。

 

でも、ある時何も辛くなくなった。

何を言われても、何をされても辛くない。

 

そう、その辛いことが当たり前になってしまったから。

辛いことに慣れてしまったから。

そんな日常を受け入れ、諦めてしまったから。

だから、辛く感じなくなったんだと思う。

 

どうか、「辛いことに慣れないで」と私は言いたい。

辛くないと感じるようになったのは、自分自身を守るために何も感じなくしてくれたんだと思う。

 

感情が無くなる状態

 

そんな感覚はもう、味わいたくはない。

 

辛い状況に居続けると、それが当たり前になって、だんだんその状況から「逃げる」という選択肢を選択できなくなっていく。

麻痺していく。

 

「辛いことに慣れてしまうこと」

 

本当に悲しいことです。

 

私も、辛いことに慣れてしまって自分自身で逃げ場を無くして、全てを諦めていました。

 

でも、そんな時色んな人が私に言葉をくれたおかげで、自分の目で見えていた選択肢はもっとたくさんあることに気がつくことが出来ました。

 

どうか、塞ぎこまないで。

諦めないで。

 

そんな時こそ、考える勇気を。

 

 

ふたつの別れ

最近、2つ悲しい別れがありました。

寂しいし、悲しい気持ちがたくさんでした。

今でも、思い出したら泣いてしまいそうで。

 

1つ目は、バイトを辞めました。

かけ持ちを始めましたが、両立が難しくなり、迷惑をかけてしまうという理由で辞めました。

8/7日に、話し合いをして辞めることになりました。

 

「私ならどこへ行ってもやっていける 」

 

店長さんから、こんな言葉をもらいました。

 

その言葉を聞いて、少し泣きそうになって

私の想いを伝えて、話し合いは終わりました。

 

色んなお店がありますが、こんなにも想いのある仕事場はあんまりないと思います。

最後に、「最初に働けてたところがここで良かったです。お世話になりました。」と言いました。

 

本当は、ここで役に立ちたかった、ここで長く働きたかった。でも、私が決めたことです。

店長さんと、その奥さんにもらった頑張れる言葉をこの先も仕事をしていく中でお守りとして持っていきます。

 

2つ目は、4月から付き合っていた人と別れました。

8/7に電話をして、別れました。

 

お互い付き合っていてしんどくなってしまったのが原因です。

 

8/9日に前から会うと約束していて、でも相手が別れたいと言ったのでその日を話し合う日に決めました。

8/9~9/9まで距離を置こうという事になりました。

 

しかし、私は考えてみて会うことに意味はあるのか?と思いました。

これからどうして行こうか。なら会う意味はあります。

しかし、相手が別れたいと結論を出しているのに会う意味は果たしてあるのか。

 

そう思い、8/7にお互いのために会わない方がいいと思うとLINEをして、最後に話す?私はどっちでもいいとLINEしました。

 

すると相手は、電話で話そうと言ってくれたので話しました。

 

私はこの時、電話をしたくないと思っていました。意味はあるのかな、とも思っていました。

 

電話する時間になったので、話し始めました。

その次の日8/8は成人式の前撮りでした。

「明日成人式の前撮りや」と私が言うと

 

相手は「可愛くしてもらってきてな」と言いました。

 

「可愛くなるかなぁー。」と私が言うと

 

「絶対可愛くなるよ。大丈夫。」と言ってくれました。

 

私はその言葉を聞いて、涙が止まらなくなって、泣きながら、「最近はしんどいことが浮き彫りになってしまったけど、3ヶ月間ずっと楽しかったから。ありがとう。」と言うと、

 

相手も泣いてくれて「俺も楽しかったで」と泣きながら言ってくれました。

 

相手が泣くとは思わなくて驚いたけれど、

でも同時に、この人と付き合えて良かったなと思いました。

 

私は、電話してよかったと思いました。

電話がなかったら、私は今のようにスッキリとした気持ちではいないでしょう。

 

私はこのふたつの別れで沢山泣きました。

でも同時に力をもらいました。

この先、頑張っていける力をもらいました。

 

相手は、明日笑顔で撮ってきてなと言ってくれました。

正直、笑えるか心配でした。

 

ー 8/8 ー

お化粧してもらって、綺麗な着物を着せてもらって、綺麗だね、可愛いねとたくさん言ってもらって、前撮りが始まりました。

 

心は、スッキリとしていました。

 

たくさん笑いました。

カメラマンさんに娘さん笑顔いいねぇ!と言ってもらうほどにたくさん笑いました。

 

カメラマンさんの「笑顔がいいね」の言葉を聞いた時、私は泣きそうになりました。

 

ちゃんと笑えたよ。

 

前撮りは、すごく楽しくていい写真が撮れました。

 

出会ってくれた人、支えてくれた人全ての人に感謝で、恩返しできるように頑張っていきたいと思った日でした。

 

8/7に2つ別れがあって自分の心は疲れたと思います。

でも、だからこそ、成人式の前撮りですごく笑えたんだと思います。

 

私は、全てを成人式の前撮り前に終わらそうと決めました。

 

悲しい、寂しい、

でも、私の選択は正しかった。

 

私の前撮りの写真がそれを物語っています。

 

ありがとう。

別れと同時にたくさんのものをもらいました。

 

しんどいこと、これからもたくさんあるけれど、一つ一つゆっくり頑張って行ければいいなと思いました。

 

いい別れでした。ありがとう。