小春日和

敏感な私の学校生活と日々のこと

逃げてもいい

私が初めて「死にたい」と口にしたのは、不登校になった中学二年生の頃でした。

 

高校三年生になった今でも「死にたい」と口にする時はあります。

けれど、中学二年生の時より「死にたい」と思う頻度は減ってきていると思います。

 

なぜ「死にたい」と思う頻度が減ったのか、考えてみました。

 

私の場合、「死にたい」と思う時

いつも壁がありました。

例えば、

・高校受験が迫ってきている

・学校に行こうと思ってるのに行けない

・○○までに何かをしなければいけない

 

色々ほかにもありますが、

その壁があまりにも今の自分にとって大きくて

向き合うことが出来ない、拒否したい。

という時に「死にたい」と言っていた気がします。

 

今になっても、壁と向き合わないといけない時は「死にたい」と口にしてしまいます。

 

中学生の時に分からなかったこと、どんな時に自分は「死にたい」と口にしているのか、など

自分を客観的に見れるようになったことも、言う頻度が減った理由の一つに入ると思います。

 

中学生の時は、暗闇の中に一人いて考える余裕もなくただ死にたいと思っていただけでした。

でも、明日死ぬからって思うと楽になるんです。

 

明日死ぬって思うと今日が生きれる

でも、死ねなくて絶望する

その繰り返しでした。

 

私は、「死にたい」と言ってもいいと思います。

でも、少し余裕が出てきたら考えてみてください。

私の死にたいは、今目の前にある壁を避けたいから言っている「死にたい」ではないか?と。

 

もし、そうだとしたら

避けられるものなら避けてください。

私の場合、罪悪感がありましたが少し楽になりました。

 

逃げるという言葉がありますが、

逃げるというより、違う選択肢を選んだという言葉に言い換えられます。

 

逃げるというとマイナスに受け取る人が多いのであんまり使いたくはないですが、

私はたくさん逃げることが出来たから、普通に学校に行っている人よりも多くの選択肢に気づくことが出来ました。

 

たくさん逃げましょう。そして、人よりも多くの選択肢を見つけましょう。

自分が逃げて見つけた選択肢の中から自分が1番出来そうなものを選んで生きていけばいい。

 

私は、逃げて見つけた選択肢で生きています。

逃げた先に待っているのは終わりではありません。

待っているのは、新しい選択肢だと私は思っています。

だから大丈夫。

 

今死にたくても、逃げていても

待っているのは終わりではありません。

だから、ゆっくり自分のペースで頑張っていきましょう。

 

新しい選択肢を私も、もっと見つけて

今よりも生きやすくしていきたいなって思っています。