小春日和

敏感な私の学校生活と日々のこと

選択出来るという自由

誰にでも自分の意見や思いはあると思います。

その思いや意見を理解してもらったり、賛同してもらったら嬉しいですよね。

 

でも、よく聞く言葉で"自分の意見を他人に押し付けてはいけない"という言葉があります。

私は今日、本当にそうだなって思いました。

 

自分の意見や思いを受け入れてほしいものです。

でも、その押しつけでその人の選択肢を奪ってはいけないと思います。

 

その人が答えを出す前に、

「こうしないとダメだからね」

「こうしなさいよ」

とか言ってしまう人がいると思います。

 

私も言ってしまっていた時がありました。

でも、その言葉を投げかけた相手は困ってしまうと思います。

「こうしなさいよ」と言った相手のことを考えて、答えが出せないことがあると思います。

 

「こうしなさいよ」言った相手は答えが出ています。でも、その答えを強制してはいけません。

相手をその答えのルートに無理やり乗せてはいけません。

 

そのルートに乗るか乗らないかは相手次第です。

 

先に子供が答えを出す前に「こうしなさいよ」と言ってしまう親がいるとします。

 

子供はその親の意見のルートに乗るとします。

 

そうすると、自分で答えを出せなくなったりしてしまうかも知れません。

そうなると悲しいですよね。

 

私は18歳ですが、まだ自分の意見はこうだ!ということはできません。

大人がこう言ってたからこうしないといけないんだって思ってしまいます。

 

でも、今日は私の選択肢が奪われているって気づくことができました。

 

よく人は「自由」と言いますが、

選択肢があって、自分で選択出来るというのも「自由」の1つに入るのではないかと思いました。

 

 

答えは1つではない

朝の電車に2回目乗った日から

朝の電車は乗れていません。

 

起きれないんです。薬も調整してもらいましたが、起きれず…。

 

絶対に行かないとダメな授業の日は泣きながらでも起きているので…笑

大丈夫かな?!って思っています。

 

家族のある人に、「今のままではダメだ」と言われました。

今頑張れてないのにこの先頑張れるわけが無いというようなことを言われました。

朝の電車通学もその理由に言われました。

 

「大学に行かなくてもいいやん、就職すれば?」

とも言われました。

 

私にばかりお金がかかっていること

お金がかかっているのに学校を多く休んでいること

私がムダにしていることがあるということ

 

などを言われました。

 

「これが現実なんだ」と受け入れられたらいいんですけど、その言葉をどう飲み込んだらいいのか分かりませんでした。

 

私は、「そうだね」と言ったけれど

なんだか、その言葉が不快でそれに悔しかったです。

 

私は、今でも十分頑張っていると思っていました。

でも、「頑張ってない」と見られてしまうこともあるんですね。

 

私は分かっています。

私にお金が多くかかっていること。

私が学校を休む度にムダしていること。

 

「分かってるの?」と疑問を投げかけられたけれど、

私は十分わかっています。

 

「今頑張れなかったらこの先も頑張れない」この言葉は、そうなのかもしれません。

 

けれど、私は何年か前に出来なかったことが時間をかけて出来るようになったことがあります。

だから、半分合っていて半分は合ってないのかもしれません。

 

その人の歩んできた道の答えはそうであったのかもしれない。

 

けれど私はまだ答えが出ていません。

だから、私は自分で答えを探したい。

 

その人と私は違う。

だから、答えが違ってもおかしくはないんです。

 

だから、答えはそれぞれ違うから誰かの言った答えが全てだと思わなくてもいいんですよね。

 

色んな答えがあるから、色んな人を救えるんですよね。

 

だから、色んな選択肢が増えていく。

 

大丈夫大丈夫。ゆっくりゆっくり。

私も頑張ります!

 

 

朝の電車・バスに乗った日

私は今高校二年生です。

入学式以来乗れていなかった、電車とバスに今日乗りました。

2回目です。

 

駅に着いた時、息が上手くできなくて泣きそうになりました。

でも、落ち着いて深呼吸を何回もしました。

 

電車が来ると、人が入れないくらいたくさん乗っていて降りれなかったらどうしよう。と不安になりました。

 

けれど、降りる2つ前の駅で一斉に人が降りたので電車内はスカスカになりました。

 

このおかげで少し落ち着くことが出来ました。

 

バスは少し迷ったけど、人が行く方向に歩いていってバスに乗れました。

 

2回目乗った感想は、「案外大丈夫だった」でした。

 

なんであんなにしんどいって思ってたんだろう?と考えていたら

入学式以来ってことは、学校に初めて行く日じゃないか!って思いました。

 

それなら、初めてのことで初めての経験だから怖いし、しんどいですね。

 

帰りのバス、電車はしんどくならないんです。

だから、帰りの電車、バスに乗っていることも練習になっていたのかもしれません。

 

今日は3時間授業だったので、勇気をだして頑張ってみました。

 

けれど、1時間目の授業でお腹が鳴ってしまいました笑

 

電車通学は体力がいるんですね…。

 

明日は6時間授業で長いですが、朝通学しても6時間受けられるか自分を試してみようと思います!

 

明日も頑張ります!

 

 

 

行方

考えたことがありますか?

 

涙を流して床に落ちた涙の行方
我慢して飲み込んだ言葉の行方

 

溢れたものはどこに行くんでしょうか。

 

きっと、私達の体の中に溜められるとこがあるんでしょう。
きっと、いつか耐えられなくなって爆発するんでしょう。

 

自分自身のために。

 

我慢した感情、言葉、涙それらの行方を考えてみてください。

 

本当に我慢してそれらは消えたと思っていますか?

きっと、どこかに溜まっているはずです。

 

私は、爆発することが多く、その爆発前を予知することが出来ません。

 

きっと、たくさん体からサインが出ているはずなのに。

 

だから、日々起きたこと

 

例えば、"何か言われて悲しかったでも何も言わなかった、言えなかった"
みたいにそうゆうことが誰にでもあると思います。

 

そこで私は私に気づいてあげられません。
それが、"我慢している"ことだと気づいてあげられていませんでした。

 

なにか出来事ある度、行方を考えてあげられればいいんでしょうけど、難しいですね。

 

でも、頭の中に自分が飲み込んだ感情たちの行方を考えてあげられれば"今我慢が溜まってるかもしれない"と思って休むきっかけになるかもしれません。

 

きっと、飲み込んだ感情や言葉はいつか耐えきれなくなってしまいます。

 

私が私に気づいてあげられるように、これからも頑張って行きたいです。

 

 

 

 

 

 

"助ける"ということ

みなさんは、誰かに相談されたりしたことはありますか?

学校に行ってから、相談されることが多々あります。

すんなり、返事を出せる相談事もあれば、

考えないと返事を出せない相談事もあります。

 

昨日、友達が私に相談してきました。

その子の悩みは、世界で見てみるとそんな悩みをもってる人もいると思うけど、身近ではあんまり聞くことの無いだろうという相談事でした。

 

私は、悔しかったです。

その子と同等になることはできません。

同じようにその悩みを持つことはできません。

同じようにしんどい気持ちになれないから、共感することも言えないし、何が楽になる言葉なのかなんて分かりません。

 

私は、友達の悩んでる中心部分を取り除いてあげることは出来ないけれど、周りを綺麗に掃除してあげようと思いました。

 

その子が、その悩みを抱えたままでも進みやすいように。

周りを掃除してあげたいと思いました。

 

悩みを取り除くことはできない、一緒に共感してあげることも出来ない

けれど、その抱えてる悩みが少しだけ、ほんの少しだけでも軽くなればいいなと思って言葉をかけました。

 

大切な誰かが悩んでいた時、どうにか力になりたいですよね。

でも、その人の痛みが分からないと助けにならないというわけではないと私は思いました。

 

その人が経験してる痛みは、自分自身は経験したことがなくてわからない。

だから、何も言えない。

それが、恥ずかしいとかダメとかそうゆうわけではないと思います。

 

その人の気持ちが分からなくても、手助け出来ることがあると思います。

 

話を聞いてあげて共感してあげることが全てではない思います。

 

その人が大切なら、自分がその人にしてあげたい、言ってあげたい言葉を贈ればいいと思います。

 

絶対的な助けはありません。

 

だから、できる範囲で手助けできればいいと思います。

 

私は、その子に正直に思ったこと、調べて思ったことを言いました。

それで、楽になったと言ってくれました。

 

なんにも出来なくていいんです。

なんにもできない中で、自分ができることで手助けしてあければそれで十分です。

 

私は、共感してあげること、同じ気持ちにならないと、言葉が出てこなくて手助け出来ないと思っていました。

 

けれど違いました。

何もわからなくても何か出来ることがあるんですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

苦しい記憶から抜け出せた日

昨日、ママさんバレーに行ってきました!

 

私は、バレー部に入って嫌なことしんどい思いをしました。

けれど、またバレーを始めているということに驚いています。

 

緊張しましたが、ゲームをやっていくにつれ

とても楽しいなと感じることが出来ました。

 

色々と思い出してしんどくなりかけたけど、

それを上書きするように楽しさが出てきました。

 

それに、私の中学校の体育館でしたんです。

 

嫌なことがあった体育館で行きたくもないし、

思い出したくもないと思っていたのに

嫌な場所で嫌なバレーをしていることが私は感動しました。

 

嫌なことがあったことやあった場所で何かをするって嫌ですよね、怖いですよね。

 

パニックになったらどうしようとか、しんどくなったらどうしようとおもう前に、そんなとこに行くもんか!って拒否してそれを突き放してしまいます。

 

でも、私は嫌だった思い出をもう一度することで学ぶことがありました。

 

私は誤解していました。

私がバレー部でされたことは、全てのバレー部で行われていることだと勘違いしていました。

失敗したら許されない、出来損ないはいじめられる、そんな雰囲気がどこでもあるんだと思っていました。

 

なので、バレー部=怖いもの

だと思っていました。

 

でも、今回中学校の体育館でもう一度バレーをしたことで

全てが私がされたことをされている訳ではなく、楽しいところもあるんだと分かりました。

私がいたところは、たまたまそんな所で私が運が悪かっただけなんだと思いました。

だから、全部怖いところじゃないんだと思いました。

嫌なことも思い出したけど、そうゆうことを理解出来たことがよかったなと思いました。

 

"嫌なことをもう一度する"

ということは意味が無いと思うかもしれません。

しんどい思いをするだけだと思うかもしれません。

 

でも、私は嫌なことをもう一度するということは意味があることだと思いました。

 

私は、しんどい記憶から抜け出せずにいました。

そのしんどい記憶が全てだと思っていました。

 

今回、ママさんバレーをしてその記憶が全てじゃなかったんだと学ばされ、

しんどい記憶から楽しい記憶に変わりました。

 

なぜ、私がもう一度バレーをしようと思ったのかは、ハッキリとは分かりません。

楽しさを覚えていたのかもしれません。

 

あなたがされた出来事は事実でありそれが本当です。

でも、もしかしたら違うのかもしれないと勇気があれば疑ってみるのも大事なのかもしれません。

私が、されたことは私が感じて傷ついたから本当です。

目で見てしまったし。

 

でも、それが全てか?と疑問をもてたことで

過去の苦しい記憶から抜け出せたのかもしれません。

 

もう一度しんどかったことをやってみる。

それも、意味があることでなにかに気づけて学べることもあるかもしれません!

 

私は、今回勇気をだして挑戦してみてよかったなと思っています!

 

後悔していること

私は後悔してることがあります。

中学で1番しんどかったのは部活での出来事だと思っています。

 

たくさん、ひどいこと言われたのに私は何も言い返さず、機嫌ばかりとって笑っていました。

それが私の後悔です。

 

何も言い返さず不登校になりました。

 

私はいまでも、学校に行かなくなるのならひどいことをされた相手に言い返したらよかったと思っています。

 

私は、その時の記憶がありません。

辛すぎて記憶から消してしまったのかもしれません。

だから、こんなことされた!って言葉に出せない。

ただ、思い出そうとすると嫌な感じしてしんどくなります。

涙が出た時もありました。

 

私は、その時の傷が癒えたのか?

と聞かれたらわからないと答えると思います。

ひどいことをした人達はもう怖くありません。

 

だから、会いたいんです。

会った時に今度こそ言い返したい。

 

そんな人達のことを忘れてはいないけれど今の友達と楽しくしてたのに

この前、学校帰り電車に乗って降りた時

コンビニの前でひどいことをされた人に会いました。私には気づきませんでした。

 

けれど、笑っていて楽しそうで、私はなんだか怖くて逃げてしまいました。

その時になくなった記憶は思い出すことは出来なかったけれど、しんどかった、辛かった

そんな気持ちが蘇ってきて憎しみなんでしょうか。しんどかったです。

 

ずっと、忘れたふりをして傷が癒えたフリをしていたのでしょうか。

なんだか、我慢することが出来なくなってきた気がします。

 

言い返すことが、過去の自分と今の自分を救えるなら私は言い返したい。

でも、誰かに「なんのために言い返すの?」と言われると何も言えなくなりそうで。

 

また、いい方法を見つけていきたいです。

 

今回の記事は、少しだけしんどかったので整理の記事になりました。