小春日和

敏感な私の学校生活と日々のこと

子供は言われなくても分かっている

今日は久しぶりに学校を休みました。

 

昨日は六時間全部出てそのあと買い物したのですごく疲れてしまいました。

 

私は、高校2年生になって学校を1年生の時よりは休まなくなりました。

7時間受けた次の日も学校に行けるようになりました。

 

不登校の時よりは、学校を休むという選択をした時の罪悪感は少ない気がします。

 

けれど、罪悪感はまだあります。

 

今日は、6:50分頃目を覚ました時

「あ‥無理だ‥」って思いました。

今日は大事な授業があったし出なきゃ行けないって分かってたんですけど体しんどく、起きれませんでした。

 

なんで?をいっぱい考えて

休んでしまった‥という罪悪感がきました。

 

その時に、私のおばあちゃんが来ました。

「6連休もあったのにしんどいの?」

と聞いてきました。

 

私は、「疲れが取れない、昨日久しぶりの学校だったからどっと疲れたの」と言いました。

 

そしたら、「分からんわ。たっぷり休みとったのに行けへんことがわからんわ」

「学校行くために調整しなかったの?休みあったのに行けなくなるなら休みの意味ないやん」

と言いました。

 

私は、心がキュッと痛くなりました。

目の前のことだけをみて全てを判断しているような気がしました。

1年の時の私と比べてほしいと思いました。

 

不登校を認めてもらえない人は、今日の朝のようなことは毎日なんですよね。

 

「昨日休みやったやん!元気やったやん!」

とか言われます。

 

でも、私がタイトルであるようにこの記事の中で一番言いたいこと

 

それは言われなくても子供は十分分かっているということ。

 

たくさん考えています。

周りは、"考えてないように見えて学校にただ行きたくないから休んでいる"

と思ってしまうかもしれません。

 

でも違います。本当は言わなくてもいいぐらい自分で自分を責めて、考えて、悩んで、泣いて

次はがんばろうって思ってでも行けなくて

 

言われなくても分かっているんです。

だから、「昨日休みなのに行けなかったの?」

って聞かれても、すでに考えて悩んでいる。

 

他人に裏切られるも辛いです。痛いです。

 

でも、私達は自分に何度も何度も裏切られてきました。

 

明日いく!絶対に行く!と決心したのに朝起きたら行けない。

こんなことを繰り返していたら自分を嫌いになってしまいます。

 

私も自分が嫌いで、自分を信じられなくなっていました。

 

分かっていることを何度も言われると怒ってしまいますよね。

 

「分かってるよ!!」て。

 

どうか、責めないであげてください。

すでに、自分を自分で責めているのに

家族にも責められたら、自分はやっぱりダメなんだって思ってしまいます。

 

身近な心を許せる人に責められたり、何かを言われてしまったら、もうその子には心を許せる人はいません。

 

"生きたくない"なんて思ってしまうかもしれません。

 

昼には元気になるし、食べられるし、話せる

なのに、朝はいけない。

ずる休みとか見た目は思ってしまうかもしれません。

しかし、"休む"という決心をするには

周りがその子に考えていった言葉より

何倍も何百倍も考えて悩んで苦しんで出した答えなんです。

 

だから、休むと決めたことをできれば褒めてあげられたらいいな。

頑張ったねって。

 

私は、私達は、決して悲しませようとして不登校になったわけじゃないんです。

 

誰が、悲しませようとして学校に行かなくなると思いますか??

 

だから、悲しんでる姿を見ると心が痛いですよね。私のせいでって思いますよね。

 

私は、この先誰かが安心できるものをつくりたいです。

まだ、何かは分からないけれど物なのかそれとも目に見えないものなのか

まだわかりません!

でも、頑張っていきたいな。

 

今日は、家族の言葉で心が痛かったけど

思い出して、記事に書けたのでよかったかな!笑