小春日和

敏感な私の学校生活と日々のこと

死にたかった過去と見つけられた生きる理由

私は、中学2年生〜中学3年生+1年間不登校でした。

その時に何を感じ、何を思っていたのかなんて

日記でも書いてないと忘れてしまうものです。

 

わたしは、学校に行けなくなった時からスマホのメモに思いを書いてそれを印刷して残しています。

 

不登校になりかけの頃の日記を紹介します。

 

今日は学校に行けて嬉しかった。けれど、土日を迎えて自分の心に余裕がないことが分かる。

モヤモヤする。 日曜になるとなんだか泣きたくなるし行きたくない思いが出てくる。不安が集まりすぎてしんどい。マスクすることで人と対等に話せる。マスクを取ると何か怖い。

学校の朝になるとなぜか食欲がなくなる。

それと、なぜ学校に行かないと行けないのか分からない、しんどいのになんで行かないと行けないんだろうって思う。学校に行く前の夜、

辛いよ、苦しいよ、しんどいよ、行きたくないよって毎晩思って泣きたくてその思いを飲み込んで次の日学校に行ってた。火曜日は休んでしまった。朝6時まで行くか行かないか葛藤してた。どうしたらいいか、わからない。入院したいなって思った。いつも、思う。自分は逃げようとしているのかなって思う。楽な方に流されているのかなって思うし、もう何もかも無くなってしまえばいいのにって心から思う。

何回も起きては考えてを繰り返していたと思う。どうやって友達に休むことを伝えようって考えては、あかん、行くんや!って思ってはそんなことをグルグル考えていたら6:30になった。体がいうことをきかなかった。体が拒否していた。行きたくないって言っていた。自分でも今日は無理だなって思った。でも、学校を休んだ次の日学校行った時みんなの態度が変わっていたり、無視されたり居場所が無かったということがあったから、まだ同じことが起こったらどうしようって思う。友達にも裏切られたらどうしようって思う。

 

 

 

 

って書いてありました。私はこの文章を書いた後、学校に行くふりをして家出をしました。カッターを鞄に入れて。

 

どうやって、死のうって考えてました。でも、本当に死のうとは思っていなかったと思う。

だから、がんばって走っておばさんの家に行って助けを求めたんだと思う。

 

私は時々考える、こんな時の自分の状態になった時何を言ってあげたらいいんだろう。って思います。

 

「学校に行かなくていいよ」そう言っても

ダメなことだと思っていたから、そんなのダメってなる。

「なんで死ぬなんていうの!」なんて言いたくない。逆に追い込んでしまうと思う。

 

私はなんて言って欲しかったんだろう。

多分、言葉なんかいらなかったのかもしれない。抱きしめて欲しかったのかもしれない。

 

言葉は凶器にもなるし安心材料にもなる。

私は自分の体験でそう思った。

もし、死にたいとか学校行きたくないって子供が言った時、なんで言えば正解なんだろうって考えると思う。

けれど、抱きしめてあげるのが一番なんだと感じた。

私は、抱きしめられた時 体全部が暖かくて、一瞬だけ、その一瞬だけ心が満足してその時だけ生きてていいんだって思えた。

 

学校はいくものだ。そうゆう考え方が普通です。でも、私はその考えのせいで追い込まれ死にたくなりました。

 

普通、当たり前、それがあるから安心できる人もいる、けれど、追い込まれる人もいる。

それができない私はダメなんだって。

 

私は、普通のことができないし上手く生きられない。けれど、そんな人がいたことを知ったから、この先も生きれるんだなって思えた。

 

不登校の人、人と違う道を進んでいる人も

きっと、あなたがいるその道は誰かの安心材料になったり助けになったりすると思う。

 

コンプレックス、人と違うところ、自分の欠点、ダメって決まってしまってるのかもしれない、けどそんなものはない。

 

全部人を助けられる道具になる。

 

あなたが生きていることが人の安心につながると私は思います。

だから、あなたが生きていることはムダなんかじゃなく意味があるものだと思う。

 

今現在、生きている理由がなくても

その経験が、遠い未来の誰かを助けることだってある。

 

私は、誰かを助けることができたから

辛かったし、死にたかったけど経験して良かったって思いました。

 

 

全てに意味があり、自分にも誰かのためになると思うと頑張れそうです。

 

 

長々とすいません(・・;)